相続税の歴史その1:相続税と土地の相続税評価額~戦前の創設の経緯~

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亡くなった方が一定額以上の財産を保有していた場合、その財産を相続した相続人等は相続税を払うことになりますが、相続税という制度はいつから始まったのでしょうか。今回は相続税が創設された経緯や当時の土地評価の方法など、相続税の歴史をお伝えします。

相続税が創設された経緯

1904年に開戦した日露戦争にかかる膨大な戦費調達を目的として、同年に「非常特別税法」が実施されました。

その内容は、従来からあった地租(固定資産税)・営業税・所得税・酒税・砂糖消費税・醤油税・登録税・取引所税・狩猟免許税・鉱区税及び各種の輸入税(関税)の増税の他、毛織物消費税・石油消費税が新設され、戦費に充てられました。

その後、戦局が進むにつれて戦費がさらに必要となり、1905年には「第二次非常特別税法」が実施されます。

地租・所得税等がさらに増税された他、通行税・砂金採取地税の新設、毛織物消費税が織物消費税となって課税対象が全織物に拡大される等、多くのものが課税対象となり、いかに戦費が必要だったかが伺えます。相続税もこの年に創設され、戦費調達が大きな目的だったと思われます。

ちなみに当時の政府関係者は「相続によって一時に多額の財産を取得し、納税にかかる苦痛は少ないのに、従来は、不動産、船舶の所有権取得に対し登録税を課税していただけであった。確実に巨額の収入になることから良好な税種とみられる」と述べたと言われています。

当時の土地の評価方法や相続税率

創設当時の相続財産の評価方法は「相続開始ノ時ノ価額ニ依ル」とされていて、土地についても時価で評価されました。ただし土地に関する権利である地上権・永小作権については「目的タル土地ノ賃貸価格」とされ、この賃貸価格の一定倍数で評価されました。

その後、当時の税務当局は土地の時価の調査と「時価標準率」の作成を行い、その標準率や売買事例等を考慮して土地の評価が行われました。

また、相続手続きは、相続を知った日から3ヶ月以内に相続人が財産目録等を提出していたのですが、その内容をもとに政府が課税価格を決定することになっていた点が現在と大きく異なります。

当時は家督相続とそれ以外の遺産相続では税率が異なっていた他、被相続人との親疎によっても税率が異なっていた点が現在と違うところです。直系卑属の家督相続は1.2%~13%、遺産相続は1.5%~14%の相続税がかかり、現在の基礎控除にあたる「免税点」はそれぞれ1,000円、500円となっていました。

その後物価上昇等に伴い税率や免税点が変更され、1940年の直系卑属の家督相続は1%~33%遺産相続の場合は2%~49%と、太平洋戦争の戦費調達の目的もあり長い年月をかけて税率が上がっていきました。

また、この年に課税価格が少額であることを条件に、同居相続人で18歳未満・60歳以上・障害者1人当り1,000円の「扶養控除」が新設されました。

現在の制度と似ている部分も

戦前の相続税は、現在の制度とは異なる部分がいくつもあります。家督相続と遺産相続によって税率が異なる点は、戦前の「家」を守るということが制度の中に盛り込まれていたといえます。

また、財産目録等を基に政府が課税価格を決定していた事も大きな違いです。さらに軍人・軍属の戦死・戦病死による相続については非課税となっていた点も戦後には無い制度となっています。

ただし、現在の制度と考え方が近い点もあります。相続財産は時価を基準として評価する点は現在と似ていますし、免税点という考え方も現在の基礎控除と近いものがあります。また、当時の政府が行った土地調査の様式に「○○通」「〇番」等の記載があったということで、現在の路線価方式に近いものがあります。

このように戦費調達を目的として創設された相続税ですが、終戦を経て戦後に制度が改正されていくことになります。