地図の歴史は古い!土地取引で重要な「公図・地図」はどのように作成されたのか
日本全国にある各法務局・地方法務局・出張所に備え付けられている「公図・地図」は長い歴史を経て現在に至っています。その作成された経緯や背景等を確認すると、その時代ごとの土地に関する考え方や等が見えてきます。今回は日本の土地調査の歴史や現在の公図と地図の違い等についてお伝えします。
日本の土地調査、地図の歴史は古い
現在、土地については地番・地目・所有者・地積(面積)等の「地籍」が登記されており、土地に関する戸籍とも言えます。その内容は地番ごとに登記事項証明書に記載され、誰でも閲覧が可能です。地籍調査等で明確となった地積が記載されているのですが、土地について調査が行われたのは大化の改新まで遡ると言われています。まずは主な土地調査や地図作成の歴史についてお伝えします。
1.大化の改新
大化の改新によって導入された「班田収授の法(701年~)」では、6年ごとに戸籍と税を徴収するための台帳が作成され、「口分田」として人民に分け与えられました。当時の土地は全て国有で売買も禁止されていて、死亡した場合には国に返納されました。分け与えられる口分田の大きさは6歳以上の男子で2反(約23a)、女子はその2/3の4/3反(約15a)で、この田を分ける時に作成された「田図」という地図が地図の始まりだと言われています。
2.太閤検地
豊臣秀吉が行った「太閤検地(1582年~)」では、農民の田畑を一筆ごとに大きさを測り土地の石高等を定める政策を取りました。これが全国規模で統一的に行われた最初の土地調査となり、従来の土地管理制度を大きく変えるものとなり、江戸時代に入ってからも同様の方法で土地の調査が行われました。
公図の基となる地図が作成された
明治時代に入ると「地租改正(1873年~)」により土地制度の改革が行われ、土地ごとの位置・面積・地目・地価・所有者が記載された「地券」が発行されました。
その際に土地の「地番」の付与と土地調査が行われました。所有者を確定することで納税義務を課し、地価に対する税金を従来の物納から金納へ移行させた時期でもあります。土地の私的所有が認められ売買等も可能となりました。
この時期に作成された地図・図面が現在の「公図(地図に準ずる図面)」の基となっていますが、当時の作成期間が短期間であった、土地所有者自身が測量を行い政府が検査する方法であった、当時の測量技術が現在よりも精度が低かった、という理由で、面積や形状等が実際の土地と合っていないという問題が当時から生じていました。
現在法務局にある「公図」と「地図」
戦前までこのような問題を抱えていたため、戦後になると国土の実態を把握する目的で「地籍調査(1951年~)」が行われるようになりました。現在も調査は行われていて、調査結果を基に登記簿情報も修正されていますが、全体の進捗率は2023年年度末時点で52%にとどまっています。
こちらは、境界の確認に手間と時間がかかることに加えて、都市部では土地の細分化による費用の増大やトラブルを避けたいという理由で土地所有者の協力が得られない、山村部では土地取引等が都市部よりも低く優先順位も低くなっている他、調査や測量が物理的に困難な地域が多いといった理由が挙げられます。
このように地籍調査が行われた場所とまだ行われていない場所が存在し、現在法務局には次の2つの地図が存在します。
1.不動産登記法14条1項に規定する地図
いわゆる「14条地図」と呼ばれているもので、筆界点(一筆ごとの境界点)に公共座標値がある等精度の高いもので、万が一災害等で土地の位置や筆界がわからなくなった場合にも、正確に現地を再現できる地図となっています。地籍調査によって作成される他、土地区画整理事業等によって作成される土地の所在図もこれに当てはまります。
2.不動産登記法14条4項に規定する地図に準ずる図面
いわゆる「公図」と呼ばれているもので「旧土地台帳付属地図」が代表的なものになります。上記の地図が備え付けられる間の代わりの図面で、前述の通り明治時代の地租改正時の内容が反映されているため、それぞれの土地の位置や形状等の概略は分かるものの地図に比べて精度が低いものも存在します。
このように種類によって制度が異なるため、14条地図が無い場合の土地の売買や相続時等では確定測量や現況測量を行い、正しい土地の形状や地積を確認する必要があります。